道祖神様の下着は何色か。

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或阿呆の東欧旅行⑭ ブダペスト編-2 終

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東欧旅行 ブダペスト編 最終回

ブダ王宮を見た後、私たちはブダペストを一望できるゲッレールトの丘へ向かった。もともと、ここにはハプスブルク家支配下ではマジャール人を監視する抑圧の象徴であったが、現在は街を一望できる観光地として、プロポーズの地や、また富裕層の居住域となっており、大使館員等の居住域ともなっている。

 

丘を登り切ったころには日が暮れ始めていた。

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次第に街中に街燈が点きはじめ、刻一刻と夜の世界へと飲まれていく。

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この黄昏にブダペストの街が包まれたと思うとすぐに日は沈み闇へと誘われてゆく。

この時点でも最高に美しいのだが完全に日が沈んだ時、私たちは絶景に出会った。

 

 

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人は真に美しいものに出会った際には何も言葉を発せない。美しき対象に己が飲まれているのだ。どんあ美辞麗句を用いても伝えられない。人に伝えることが逆におこがましく感じてしまえるのだ。先ほどまでにぎやかであった周囲もこの景色の前に声は奪われ、いるものすべてが感動していた。中には涙を流すものもおり、それほどこの景色は美しかった。私たちは東欧旅行最後の都市で、旅行の意義がすべてこれに詰まっていると感じた。気が付くとこの景色を2時間も見ていた。旅行という限られた時間の中で通常は時間に追われ、やりくりしようと思うものだが、いつまでもいたいと思えたのは初めてであった。だが無情にも空腹という生理現象が我々を我に返させ、丘を降りるように仕向けてくれた。丘を降りると昼に眺めた街と全く違う世界が広がっていた。

 

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美しい景色に満足した我々は気分を良くし豪遊することにした。

 

ハンガリーは景色だけでなく食事も一級である。ハンガリー料理は数種類のパプリカをふんだんに使う料理が多く、食卓では赤い色が目立つ。内陸国のため魚介類より、メインはお肉を使うものが多い。また世界三大珍味の一つであるフォアグラや貴腐ワインのトカイワインが有名である。

 

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フォアグラ美味しいぃ!!!

人生で初めてこんなにフォアグラを食べた。貴腐ワインもサイゼのグラスワインを飲むように飲んだ。これだけ食べたのでさぞ会計もいっただろうと思ったが、二人で5000円と破格の安さである。そして圧倒的な美味しさで感動であった。

 

ここで絶景と美食を堪能した私たちはその日は満足して寝るはずだったのだが、泊まったホテルで事件が起こる。

 

私たちが泊まったところはゲストハウスで、一部屋に12台の二段ベッドがあり共用のキッチンとリビングがあるところであった。

ゲストハウス内では宿泊者の交流が盛んで、毎晩イベントが開かれているようだ。

 

そこで事件は起こった。

 

その日はゲストハウス内でパーティーがあり、宿泊者たち全員が酔っていた。その中で男女数名が酒を飲みながらカードゲームに興じていた。男女の中にはカップルで来ているものがいたが、彼氏のほうが泥酔し、先に部屋に戻った。残された彼女のほうは引き続きカードゲームをしていたのだが、彼氏がいないことをいいことに男たちが酒を飲ませ彼女のほうも潰されてしまった。この後既定路線でことをするのだろうとみていたが、その場所が悪かった。それは彼氏のいる部屋でしたのである。翌日食堂に行くと案の定殴り合いの喧嘩をしていた。男も悪いが、彼氏も彼女を置いて先に酔いつぶれるのも悪いとまさに喧嘩両成敗である。この事件のせいでゲストハウス内の空気が険悪になり、でることにした。その後はソ連の衛星国時代の拷問などの歴史を展示する「恐怖の館」や市場に行ったが、ブダペストに関しては夜景と美食とこのエピソード以外特段これといったことはなかった。

 

結局毎日丘に登り、夜景を見てその後豪華な夕食を食べることを繰り返し、ブダペストを過ごしていった。

 

最後に

 

思えば期末テストが終わり、酔っ払いのノリで決めた旅行がここまで充実したものになるとは思わなかった。2週間の旅行は激動の時であった。最初から飛行機を逃しそうになり、連日夜行列車で風呂に入れぬ日々、ぼったくりにあったり、スリの被害にあいそうになったり、時には友人と喧嘩することもあった。インターネットが発達した現代、検索すればいつでも情報が手に入る世の中になった。だがスマホやパソコンの液晶越しのものではなく空気感など実際に行かねば感じれないものが多くあった。中島敦の文字禍にて文字が生まれたことによって人は文字を通してしか世界を認識できなくなったことを説いたが、現在は情報化が進んだ結果、我々はインターネットを通してあらゆるものを認識することで失ったものが多くあるのかもしれない。学生団体のように人とのつながりとか言葉の壁はないとほざいているが、今回一番感じたこととして言語の壁は存在するということだ。やはり私たちは言語という媒体を通してしか認識できない。バベルの塔ではないが、世界がもし共通の言語を話すのであればある程度の認識が統一されるのかもしれない。だが様々な言語がある以上、言語が介在することによって認識がゆがめられてしまう。それでも人は様々な言語を持つことが逆に多様性を生むことになり、素晴らしいことなのかもしれない。まあ、これ以外にも言いたいことは山ほどあるが、いい加減東欧旅行について書くのも飽きたし、まあこれ以上ぐだぐだと書き、中だるみするのもあれので一旦ここで私の東欧旅行の記録はここで終えるとする。