道祖神様の下着は何色か。

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或阿呆の東欧旅行⑦ ウィーン編-2


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東欧旅行 続・ウィーン編

大分更新遅れて申し訳ないです…

ウィーンに到着して一日目は市街を観光し、2日目は少し郊外に出てシェーンブルン宮殿に行くことにした。シェーンブルン宮殿ハプスブルク王朝が夏の離宮として使用したものである。シェーンブルンとは「美しい泉」という意味でこの地に湧き出す泉にちなんでいる。17世紀末に建てられた後に18世紀に女帝マリア・テレジアによって現在の姿に改築された。ウィーンにはいくつもの宮殿があるがシェーンブルンは最大規模である。外観はバロック様式、内部はロココ様式をとりいれ1400室もの部屋がある。現在はそのうち40室ほどが公開され、「会議は踊るされど進まず」で有名なウィーン会議が開催され大広間や6歳のモーツァルトが公演した鏡の間などが代表的である。

 

宮殿の背後には広大な庭園が広がっており、マリア・テレジアの時代から造営が始められたフランス・バロック様式で、シェーンブルンの丘のネプチューンの噴水を中心に、ローマ遺跡風の石造物やグロリエッテ、迷路庭園、動物園、ヨーロッパ最大の温室、さらには日本庭園などもあり、当時のハプスブルク家の権力の大きさに圧倒された。



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宮殿の後方にあるシェーンブルンの丘の上に建つのがグロリエッテ。グロリエッテはフランスへ嫁いだマリー・アントワネットからの強い勧めでマリア・テレジアが建てたもの。彼女はこのグロリエッテをことのほか愛し、忙しい公務の間にも屋上テラスでコーヒーを楽しんだという。

現在のグロリエッテは第二次大戦で爆破されたのちの再建である。
グロリエッテからの眺めはすばらしく、庭園と宮殿、そしてウィーンの街並みが一望できた。

 

シェーンブルン宮殿を観光した後に市街地に戻り美術史美術館に入館しようとしたが、時間が遅く入ることは出来なかった。

 

美術館に入れなかった腹いせに甘いものをバカ食いしたいとなり、近くのカフェに入ることにした。そこで私たちはホテルのスタッフから勧められていたカイザーシュマーレン(独: Kaiserschmarren)を注文することにした。カイザーシュマーレンとはザッハトルテに並ぶ、オーストリアの最も有名なデザートのひとつであり、オーストリア=ハンガリー帝国の時代から人気がある。どんなスイーツかというと要は大量のパンケーキである。なぜカイザーと皇帝と名付けられているのかには多くの説があるが、どれもフランツ・ヨーゼフに関連するものである。ある説には、皇帝とヴィッテルスバッハ家出身の妻エリーザベトに関わるものである。その美貌で有名であった皇后エリーザベトは腰回りを細く保つことに執心し、王室の料理人に低カロリーのデザートのみを調理するよう命じて、厳格なことで悪名高い皇帝を狼狽させ、いらだたせた。料理人がこのデザートを用意すると、エリーザベトは栄養豊富すぎることを理由に食べることを拒否した。激怒したフランツ・ヨーゼフは「では、料理人がどんな「Schmarrn(パンケーキ)」を即席で作ったか見せてくれ」と皮肉を言った。結局フランツ・ヨーゼフはこれを気に入り、エリーザベトの分まで平らげた。こうして、この皇帝の承認を得たデザートは帝国中でカイザーシュマーレンと呼ばれ、彼女の分まで食べたことからとても多いのである。

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ホテルのスタッフがとても量が多いと聞いていたが、正直たかを括っていた。だが提供されたものはやはり皇帝の名にふさわしく規格外の量で2人でやっと間食できるほどであった。

 

予想外の満腹になり、肉体的にも精神的にも満足し明日の美術館へ向けて寝ることにした。

 

 

 

 

 

次回!! 『続・ウィーン編 』お楽しみに!!