道祖神様の下着は何色か。

404 your girlfriend not found

令和遣欧使節-①

スペインへ発つ朝は困難の連続であった。昨晩の台風により、成田空港へ向かう電車及びバスは運休であり、仕方なく東京駅で空港へ向かいたい人を連れ相乗りで向かうも大渋滞であった。 結果として、その日のフライトに間に合わず人生初の空港にて宿泊すること…

禅って全然わかりまセン。

白川郷を後にし、その日の夜遅く福井へ到着した。福井へ来た目的は、ほぼ一つであり、永平寺にて座禅を体験することであった。 翌朝、永平寺に向かう前に、せっかくなので東尋坊を観光することにした。 雄島 早朝であったため、バスの運転手の方から自殺志願…

高野聖

その年の7月の中旬まで梅雨が長く続き、このままでは冷夏ではとニュースを騒がせていた。 下旬になると梅雨も明け、途端に夏の訪れを身をもって味わうことになった。定期試験も終わり、夏休みが到来した私は、日本の夏を体感するべく、飛騨へ向かうことにし…

海辺のダレカ

「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」とカラスと呼ばれる少年は言う。いくぶんのっそりとした、いつものしゃべりかただ。深い眠りから目覚めたばかりで、口の筋肉が重くてまだうまく動かないときのような。でもそれはそぶりみたいなもので、じっ…

寅月、白に會ふ。

2020年の幕開け————。 ごめん、元旦には書けませんでした。いま、実家にいます。昨年の正月に訪れた会津若松の記事を私は作っています。……本当は、面倒臭いけれど、でも今はもう少しだけ、知らないふりをします。私の作るこの記事も、きっといつか誰かの青春…

中山道中鐵栗毛

武蔵野の尾花がすゑにかゝる白雲と詠よみしは、むかしむかし浦の苫屋とまや、鴫しぎたつ沢の夕暮に愛めでて、仲の町の夕景色をしらざる時のことなりし と東海道中膝栗毛で十返舎一九が記したが、あれから東京の夕景色はさらに様変わりした。まあ10月に2回も…

佰萬石の羅刹

曇った十月の或る日。とはいっても前回の仙台の旅から帰った翌週———— 父親から突然電話がかかってきた。 「明日から母さんと金沢に行くけど、お前も来ない?」 ん...?? こいつは何を言っているんだ?! 前日に金沢に行くと告げられ、謎に私の分のホテルも…

ちょっとそこまでタン食べに② 終

蔵王温泉 松島を発ち山形へ向かう。夕焼け赤く染まる雁の腹雲の空のもと、仙台から山形を結ぶ仙山線の車窓から見える山々にはところどころ赤や黄色に紅葉した木々があり、秋の始まりを感じる。仙山線沿線で著名なものとして立石寺がある。山門派で有名な円仁…

ちょっとそこまでタン食べに①

9月初頭、夏休みを満喫している時にヤツが来た。 そう、成績表である。 春学期全く勉強することなく過ごしてきた当然の報いとして不可の暴風雨が成績に吹き荒れていた。 私の大学はありがたいことに親元にまで成績表を送付してくれる。 当然親からは成績に対…

南紀巡礼行記④ 終

紀伊勝浦を発ち那智へ向かった。社や滝は本宮同様山奥にあるのでバスで向かうことにした。ここで私は熊野古道は嫌というほど歩いたのにもかかわらず、また歩き始めた。 那智へと続く大門坂はその名の通り大きな門があったことに由来し、現在昔の面影を最も色…

南紀巡礼行記③

熊野三山 昨夜の泥酔にしては早起きができた。そして駅前のバス停に向かい、熊野三山へ向かうことにした。 熊野三山は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称である。熊野の地はイザナミが葬られた地と日本書紀にあり、古来より修験道…

南紀巡礼行記②

前回は謎に煙草について語っただけで終わったので今回は伊勢神宮についてちゃんと書くことにする。 読書しながら煙草を吸い時間をつぶし、ようやく列車が来た。 何もない柘植駅とこれでおさらばである。大阪付近の関西本線は通勤路線といったところだが私が…

南紀巡礼行記①

なぜ私は伊勢へ向かっているのだろうか... 本来帰省のために青春18きっぷで東京から福岡へ行くだけであった。だが豪雨により山陽、山陰の在来線が不通となり新幹線で帰ることを余儀なくされた。このまま帰ろうにも実家は両親共に祖母の介護のため不在であり…

或阿呆の東欧旅行⑭ ブダペスト編-2 終

東欧旅行 ブダペスト編 最終回 ブダ王宮を見た後、私たちはブダペストを一望できるゲッレールトの丘へ向かった。もともと、ここにはハプスブルク家支配下ではマジャール人を監視する抑圧の象徴であったが、現在は街を一望できる観光地として、プロポーズの地…

或阿呆の東欧旅行⑬ ブダペスト編-1

東欧旅行 ブダペスト編 ミュンヘンからブダペストまで再度夜行列車で行くこととなったが、DB(ドイツ鉄道)が運営しているせいなのか寝台料金が非常に高額であった。そのため寝台ではなく座席にすることにした。8時間近く座席とは日本が誇るスラム列車ムーンラ…

或阿呆の東欧旅行⑫ ミュンヘン編-3

東欧旅行 ミュンヘン編 ミュンヘン市街を観光した翌日私たちは南ドイツを観光しようとなった。そこでドイツで一番有名ともいえるノイシュバンシュタイン城に行くことにした。 ノイシュバンシュタイン城 バイエルン州の最南西部に位置し、ロマンティック街道…

或阿呆の東欧旅行⑪ ミュンヘン編-2

東欧旅行 ミュンヘン編 大失態を犯した私はまさに刑務所ホテルで目を覚めると本当に逮捕された気分となり大変憂鬱な朝を過ごした。今日こそは昨晩のようなことを起こすまいと心に決め、市街地に出た。 とりあえずミュンヘン中心地マリエン広場(Marienplatz)…

或阿呆の東欧旅行⑩ ミュンヘン編-1

東欧旅行 ミュンヘン編 ザルツブルクを発ちミュンヘンに到着したときには夜になっていた。 とりあえずホテルに荷物を預けに向かった。ミュンヘンの市街地から少し離れていたが安かったので泊まることにした。 だがホテルを見て絶望と激しい後悔に襲われた。…

或阿呆の東欧旅行⑨ ザルツブルク編

東欧旅行 ザルツブルク編 ウィーンに3日間滞在したのちに私たちはミュンヘンでドイツビールを飲むために西に行くことにした。そこでミュンヘンへの道中にある都市ザルツブルクを訪れることにした。ザルツブルクはオーストリアの西部に位置する都市であり、ザ…

或阿呆の東欧旅行⑧ ウィーン編-3

東欧旅行 ウィーン編 終 スイーツに満足した夜が明け、昨日行けなかった美術史美術館に行くことにした。 美術史美術館は古代から19世紀末までのヨーロッパ各地の美術品が収容されている。収蔵品の数も然ることながら、なんといっても建物の立派さに目を引か…

或阿呆の東欧旅行⑦ ウィーン編-2

東欧旅行 続・ウィーン編 大分更新遅れて申し訳ないです… ウィーンに到着して一日目は市街を観光し、2日目は少し郊外に出てシェーンブルン宮殿に行くことにした。シェーンブルン宮殿はハプスブルク王朝が夏の離宮として使用したものである。シェーンブルンと…

或阿呆の東欧旅行⑥ ウィーン編-1

東欧旅行 ウィーン編 2日連続夜行列車に乗り、疲れが全身を駆け巡る中、車掌が荒々しくウィーン到着を知らせるノックをしてきた。 案の定寒い、そして霧がひどい。まさにダークソウルやブラッドボーンといったフロムのダークファンタジーのような世界が広が…

或阿呆の東欧旅行⑤ ポーランド編

東欧旅行 ポーランド編 プラハから地獄のようなスラム列車で夜を明かし、ポーランドのクラクフに到着した。 私達がポーランドに来た理由はただ一つ、人類の負の遺産アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に行くためだ。ホームに降り立ちアウシュヴィッツ(ポ…

或阿呆の東欧旅行④ プラハ編-3

東欧旅行 プラハ編 最終回 今回も前回の続きとなりますので未読の方は前回、前々回の記事もよろしくお願いします! n-tripdiary.hatenablog.com n-tripdiary.hatenablog.com 絶景を味わい一通りプラハを満喫した私たちは次の目的地を考えることした。そして…

或阿呆の東欧旅行③ プラハ編-2

東欧旅行 続・プラハ編 前回はプラハ旧市街地についてでしたが、今回は前回の続きとなりますので前回の記事もよろしくお願いします! n-tripdiary.hatenablog.com プラハの街並み、おとぎの国かよ!(歓喜) この街並みの美しさに言葉はいらない── ただ視覚か…

或阿呆の東欧旅行② プラハ編-1

東欧旅行 プラハ編 突然決まった東欧旅行、そしてギリギリだった出発の朝── プラハに到着したのは18:00ごろだった。緯度が高いのもあり、辺りは薄暗かった。 そんなことより寒い!寒すぎィ! 飛行機や空港がずっと暖かったから突然の寒さに体が驚いているの…

或阿呆の東欧旅行①

旅の始まり 酷く冷えた1月末のころ──。近くに住む東大生の友人、アチ村君は期末試験がもう終わったので酒を飲みたいと連絡してきた。一方私は試験があと一つ必修の微積分が明日に控えていた。微積分の授業は1度も行ったことがなく教授の顔もわからない程、怠…

はじめに

自己紹介 筑紫丘のいおりてゃんは博学才穎おたんこなす、平成の末年、現役にして東大死文)に進学したが、非リア、コミュ障にして陰キャゴミクズに甘んじていた... 中島敦、ほんとごめん! 文ストがかわいく見えるレベルの原作レ〇プしてしまったわ!(文スト…