道祖神様の下着は何色か。

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禅って全然わかりまセン。

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白川郷を後にし、その日の夜遅く福井へ到着した。福井へ来た目的は、ほぼ一つであり、永平寺にて座禅を体験することであった。

 

翌朝、永平寺に向かう前に、せっかくなので東尋坊を観光することにした。

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雄島

 

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早朝であったため、バスの運転手の方から自殺志願者と間違われ、ずっと話しかけられた。

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東尋坊の名の由来は、雄島にある大湊神社には下記のような由来を紹介していた。

平泉寺に暴虐非道で皆を困らせていた東尋坊という僧侶がいた。また、東尋坊は美しい姫に心を奪われ、恋敵の真柄覚念という僧と互いに嫌悪し合っていた。ある日、寺の僧たちで崖にて酒宴を行い、東尋坊は酔いのあまり眠ってしまった。日頃から手を焼いていた僧たち及び真柄覚念は、ここぞとばかりに岸壁から突き落とした。それからこの崖は東尋坊と呼ばれるにいたる。

 

自殺の名所として名高いが、現在ではポケモンGOでレアポケモンが多く出るスポットとして、ポケモン目当ての訪問者を増やし、自殺防止に繋げているようだ。

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東尋坊近くの食堂にて朝ごはん 味噌汁が染みる。

 

朝食をとった後、東尋坊を離れ、永平寺へと向かった。

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先程までいた東尋坊とは異なり、緑に囲まれた境内は静謐さを保っていた。

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永平寺曹洞宗の開祖、道元によって開山された。道元は幼少期に父母を亡くし、14歳で比叡山に登り、仏門へ入門した。しかし、比叡山にて天台宗の教えである本覚思想や仏性を人は生まれながら持っているにもかかわらず、厳しい修行を得なければ悟りを得られないのかに疑問を抱いた。そこで、臨済宗の宗祖である栄西建仁寺入るも、答えは得ず宋に渡り、修行を行った。宋ではひたすらに座禅に打ち込む修行であり、ここで「只管打座」の境地に至った。帰国後、京に興聖寺を建立し、説法と著述に勤しむが、かつて修行した比叡山からの激しい迫害を受けた。

 

そこで、信徒の一人である越前の土豪の請いから越前へ下り、永平寺を開山した。

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座禅ルームにて

 

永平寺は現在でも修行する僧侶が数多くおり、高野山同様に観光地である以上に修行の地であることを体感することができた。

 

永平寺を訪れてから、道元の考えについて資料を集めることにした。

 

そこで、和辻哲郎による「日本精神史研究」の「沙門道元」を基に、道元について考えると、道元の言説は永遠なる価値の顕現を中心とし、世間的価値の破壊はその出発点でなくてはならないことに帰着するのではと考えた。
 そして、この価値の破壊を道元は仏教の伝統に従って「無常を観ずる」という表語に現わした。

世間の無常は思索の問題ではない、現前の事実である。朝に生まれたものが夕に死ぬ。昨日見た人が今日はない。我々自身も今夜重病にかかりあるいは盗賊に殺されるかもわからない。もしこの生命が我々の有する唯一の価値であるならば、我々の存在は価値なきに等しい。(随聞記第二)

 

この言葉は当時の生活不安を背景として見れば、最も直接な実感であるが、それが人生観の根拠として置かれたとなると、それはもはや単なる感傷ではありえないだろう。それは人間のあらゆる思想、制度、努力等に対する弾劾である。富や名声といったものを得ようとする一切の活動を拒否することを意味している。従って人々の物質的な効用を増進する一切の努力は生まれず、反対に人は遁世することを意味しているのではないだろうか。
 しかし、現実生活の否定、死後(浄土)の生活の希求を意味するのではない。否定しているのはただ物質的な効用、または名利の念を内容とする生活であって、偉大なる人類的価値を目ざすところの超個人的な生活そのものではない。この意味で此岸と彼岸との別は現世と死後との別ではないであろう。彼にとって、死後と生前とを問わず、真理に入れる生活が彼岸の生活なのである。生前と死後とを問わず、迷執に囚われた生活は此岸の生活である。従って理想の生をこの世からあの世へ移すことは無意義であると唱えている。理想の生はここに直ちに実現さるべきものとして存在するのである。そのため、現世の価値の破壊は直下にこの生を実現し得んがための価値倒換にほかならないのであろう。

 この価値倒換によって永遠なる価値への真実の「要求」が生まれる。そうしてこの要求によってのみ真理への証入は可能である。
 道元は以下のように記している。

仏の真理は何人の前にも開かれている。天分の貧富、才能の利鈍というごときことはここには問題でない。しかも人がそれを得ないのは何ゆえであるか。得ようとしないからである。要求が切実でないからである。要求さえ切実であるならば、下智劣根を問わず、痴愚悪人を論ぜず、必ず仏の真理は獲得し得られる。だから道に志すものは第一にこの要求を切実にしなくてはならない。世人の重き宝を盗もうと思い、強い敵を打たんと思い、絶世の美人を得ようと思うものは、行住坐臥が、その事の実現のために心を砕いている。いわんや生死の輪廻を切る一大事が、生温い心で獲られるわけはない。(随聞記第二)

 そこで、すでに要求があり、精進の意志がある。ここにおいて問題となるのは学修の方法でなくてはならないとした。


 その方法は第一に「行」である。「行」とはあらゆる旧見、吾我の判別、吾我の意欲を捨て、仏祖の言動に従うことである。すなわち世間的価値の一切を放擲して、虚心なる仏祖の模倣者となることである。つまり、例えあらゆる経典を読破し理解しても、学者としての名誉を得ようとするごとき名利の念に動いている時には、その理解は真実の体得ではない。

道元

もし行者が、この事は悪事であるから人が悪く思うだろうと考えてその事をしない、あるいは自分がこの事をすれば人が仏法者と思うだろうと考えてある善行をする、というような場合には、それは世情である。しかしまた世人を顧慮しないことを見せるために、ほしいままに心に任せて悪事をすれば、それは単純に我執であり悪心である。行者はこの種の世情悪心を忘れて、ただ専心に仏法のために行ずべきである(同上第二)。遁世とは世人の情を心にかけないことにほかならぬ。世間の人がいかに思おうとも、狂人と呼ぼうとも、ただ仏祖の行履に従って行ずれば、そこに仏弟子の道がある(同上第三)。仏道に入るには、わが心に善悪を分けて善しと思い悪しと思うことを捨て、己れが都合好悪を忘れ、善くとも悪くとも仏祖の言語行履に従うべきである。苦しくとも仏祖の行履であれば行なわなくてはならない。行ないたくても仏祖の行履になければ行なってはならない。かくして初めて新しい真理の世界が開けてくるのである(同上第二)。


 この「仏祖への盲従」が道元の言葉には最も著しいと感じた。もとより彼はこの行の中核として専心打坐を唱道する。しかし、それは、打坐が仏祖自身の修行法であり、またその直伝の道だからであろう。かくて「仏祖の模倣」は彼の修行法の根底に横たわっている。戒律を守るのも仏祖の家風だからである。難行工夫も仏祖の行履だからである。もし戒律を守らず難行を避くるならば、それは「仏の真理」への修行法とは言えない。
 この修行の態度は自力証入の意味を厳密に規定した。

 

ここには「たまたま生を人身に受けた」現実の生活に対する力強い信頼がある。この生のゆえに我々は永遠の価値をつかむこともできるのである。我々は、自己を空して仏祖に乗り移られることを欲し、乗り移られた時に燦然として輝き出すものが本来自己の内にあった永遠の生であるとしても、とにかく我々は自力をもってそこに達するのではない。我々がなし得、またなさざるべからざることは、ただ自己を空して真理を要求することに過ぎない。すなわち修行の態度としては「自らの力」の信仰ではない。
 自力他力の考え方の相違はむしろ「自己を空する」ことの意味にかかっているといえよう。他力の信仰においては、自己を空するとは自分の執着さえも自ら脱離し得ない自己の無力を悟ることである。この無力の自覚のゆえに煩悩の我々にも絶対の力が乗り移る。従って我々の行なう行も善も、自ら行なうのではなくして絶対の力が我々の内に動くのである。それに反して道元の道は、自ら執着を脱離し得べきを信じ、またそれを要求した。すなわち世間における価値の無意義さを感じ、永遠の価値の追求に身を投ずることを、自らの責任においてなすべしと命じた。

 ここに著しい相違が見られるのであると考える。前者においては、たとえば死に対する恐怖を離脱せよとは言わない。死後に浄土の永遠の安楽があるにかかわらず人が死を恐れるのは、「煩悩」のせいである。もしこの恐怖がなく死を急ぐ心持ちがあるならば、それは「煩悩」がないのであって、人としてはかえって不自然であると捉えている。阿弥陀の慈悲は人が愚かにもこの煩悩に悩まされているゆえに一層強く人を抱くのである。この考え方からすれば、病といった苦しみに悩む人が「肉体の健康」を求めて阿弥陀にすがるのは、きわめて自然の事と認めざるを得ない。しかし道元の考えにあっては身命への執着は最も許すべきでないことなのであろう。肉体的価値を得ようとするために永遠の価値に呼び掛けるようなことは、あってはならないとしている。死の恐怖に打ち勝ったものでなくては、仏の真理へ身を投げかけたとは言えないとした。念仏宗は肉体のために弥陀にすがることを是認し、道元は真理のために肉体を捨てるすることを要求する。しかも前者は解脱をただ死後の生に置き、後者は今の生においてそれを実現しようとする。つまり、自己の救済に重心を置き、他は仏の真理の顕現に重心を置く。自己放擲という点ではむしろ後者の方が徹底的であると言えよう。

 

道元自身は修行の目的として、真理王国の建設を目的とした。「仏法のための仏法修行」この覚悟が日本人たる道元において体現されたことは、驚きであった。真理それ自身のために真理を求めることは、必ずしもギリシア文化のみの特性ではなく、真理において最高の価値を認めるものは、究極の目的を認めるものは、必ずこの境地に達しなくてはならない。そうして道元はそこに達したのである。彼にとって仏法の修行は他のある物を得んがための手段ではなかった。

 

「皆無所得」これ彼の言説を貫通して響く力強い主張であろう。仏法は人生のためのものでない。人生が仏法のためのものである。仏法は国家のためのものでない。国家は仏法のためにあるのであると考えたのであろう。

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あれこれ考えてみたものの、ここまで物質に囲まれ育った自分には道元のように捨てることはできないと断言できよう。