道祖神様の下着は何色か。

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或阿呆の東欧旅行⑬ ブダペスト編-1

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東欧旅行 ブダペスト

ミュンヘンからブダペストまで再度夜行列車で行くこととなったが、DB(ドイツ鉄道)が運営しているせいなのか寝台料金が非常に高額であった。そのため寝台ではなく座席にすることにした。8時間近く座席とは日本が誇るスラム列車ムーンライトながらである。

 

だがここは日本ではない。

 

ヨーロッパであるベルリン=ワルシャワ間の寝台列車では寝台にカギがかからず強盗が頻発していると聞いていたため財布やパスポートは下着の内側に入れ乗車した。

 

いざ乗車してみると怖い。男が隣の座席になるだけで満足に眠ることもできない。しかし一日中歩き通していたので眠ってしまった。幸いなことに何も盗まれることなくやり過ごせた。ブダペストに到着したとき我々は一銭も持っていなかったので、3㎞ほど離れたホテルまで歩くことにした。しかし列車で寝たとはいいつつも、座席なため疲れはとても残っていた。

 

ホテルに着き荷物を置きブダペスト市街を観光することにした。ブダペストハンガリーの首都でドナウ川の両岸にある「ブダ」と「ペスト」の二都市が合併してできたものである。

まず聖イシュトバーン大聖堂に行った。

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聖イシュトヴァーン大聖堂は、ハンガリー王国の初代王で、1083年に列聖されたイシュトヴァーン1世にちなんでいる。

イシュトヴァーン1世とは、国の統一とキリスト教化を進めたハンガリー建国の父。アジア系の遊牧民族を祖先に持ちながら、キリスト教を受け入れ、ハンガリーをヨーロッパの一国として位置づけることで、ハンガリーの礎を築いた。主祭壇にはキリストではなくイシュトバーン1世の像である。また聖遺物として彼の右手のミイラが安置されている。これは彼の遺体の内、失われていた右手がトランシルヴァニアで発見され、各地を転々とし18世紀末にマリア・テレジアによってこの地に戻されたのである。

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次に国会議事堂に向かった。中にはハンガリー王が代々受け継いできた、聖イシュトヴァーンの王冠と宝珠や宝剣、王杓などの戴冠式用の品がこの議事堂内で保管展示されている。また議事堂近くの駅に隣接するマクドナルドが、かのエッフェルが設計した建物に入っているので世界一美しいマクドナルドといわれている。

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ドナウ川を渡りブダ地区へと渡った。そしてハンガリー王が居住していたブダ城へ向かった。ブダ城はモンゴル帝国オスマン帝国の攻撃により破壊されてきたが、マリアテレジアの手によって現在の形へとなった。現在は博物館や美術館となっている。

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白い石灰岩でできた尖塔が連なる「漁夫の砦」は、ドナウ川沿いの崖の上に建造された回廊で、砦と呼ばれているが、戦いに利用するためのものでなく、町の美化計画の一環として建造されたものである。かつてはここに魚市場が立ち、ドナウの漁師組合がこの一帯を守っていたことから、「漁夫の砦」と呼ばれるようになったそうだ。

柱頭装飾の施された2連の柱が並ぶ美しい回廊からは、ドナウ川の対岸に広がるペスト地区が一望のもと!町並みの中から突出するような聖イシュトバーン教会や、国会議事堂の姿が眺められる。

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漁夫の砦に繋がるように三位一体広場があり、台座も素晴らしい彫刻が施された聖イシュトバーンの銅像と三位一体の像が、マーチャーシュー教会を挟むように堂々と建っている。
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教会内はこんな感じであった。

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そしてこれがブダ王宮である。

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写真をたくさん上げすぎたので、とりあえず今回はここまでとしておく。

 

次回 最終回『夜のブダペスト編』お楽しみに!!