道祖神様の下着は何色か。

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或阿呆の東欧旅行⑥ ウィーン編-1

東欧旅行 ウィーン編


2日連続夜行列車に乗り、疲れが全身を駆け巡る中、車掌が荒々しくウィーン到着を知らせるノックをしてきた。

 

案の定寒い、そして霧がひどい。まさにダークソウルやブラッドボーンといったフロムのダークファンタジーのような世界が広がっている。とりあえず事前に予約していたホテルに荷物を預け行動することにした。

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まずホテルにも近いベルヴェデーレ宮殿に行くことにした。ここはモーツァルトがマリーアントワネットの前で演奏した場でもあるが、現在は美術館となっており、19世紀以降のオーストリア絵画を展示し、特に世紀末美術のコレクションが充実している。

 

代表的な展示作品はクリムトの作品だろう。日本にもクリムト展がありご覧になった方もいるであろうが、クリムトウィーン分離派の代表的な画家である。彼の作風は女性の裸、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描き、甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死の香りが感じられるの特徴だ。また多くの作品に金箔など日本の琳派や浮世絵などジャポニスムの影響を感じられる。

 

今回は彼の作品「ユディトⅠ」を紹介しようと思う。この作品はホロフェルネスの首をはね、手に持つヘブライ寡婦ユディトの姿を描いたものである。

 

ユディトは旧約聖書外伝「ユディト伝」に登場する女性である。ユディトを主題とした絵画は一般的に、彼女の住むユダヤの町べトリアにホロフェルネス将軍が侵攻し、町は陥落状態にあったが、ユディトが敵陣におもむきホロフェルネスの寝首を掻いて持ち帰る物語を描写したものである。

 

クリムトが聖書の「ユディト伝」という主題に取り組もうとしていた時代は、すでに美術史においてユディトの解釈や基本的な表現方法は確立されつつあった。

本作でクリムトは、意図的に聖書の物語への言及を無視し、ユディトの描写だけに集中している。そのため、ホロフェルネスの首は右下隅にちらりと見える程度で、これまでの美術史におけるユディトの絵画とは異なった構成となっている。

 

また、異なる武器を使って殺害したかのように、ユディト絵画ではお約束となる血の付いた武器が描かれていない。これは洗礼者ヨハネを殺害した「サロメ」との関係付けを示唆、または省略化しているように見える。

 

女性と生首を描くとき、首元に剣や武器があれば「ユディト」、皿の上に首が載っていれば「サロメ」というのが西洋絵画の基本的なルールでとなっているが、クリムトが描く男性の生首は曖昧である。 

 

ユディトの表情には官能性と倒錯性が混在したものが滲み出している。そして黒髪と背景の明るい金色のコントラストは優雅さや高揚感を高め、またおしゃれな髪型は、側面に広がる木の様式化されたモチーフによりこれまでの聖書の一場面を描いたというより1人の女性を描いたことが強調されている。

 

これはやはり歴史主義建築などの保守主義芸術に向かうウィーンの芸術に反発してより前衛的で実験的な表現を目指したウィーン分離派の表現の表れだろう。より芸術を開かれたものにし、国際色豊かな芸術運動にして、ナショナリズムに反対するため、既存の歴史的慣行を無視し自分たちの新たなスタイル芸術創造といえる。

 

こんな風に絵について話させると終わらないのでこれまでとするが、歴史の象徴たる宮殿にウィーン分離派の絵画が数多くあるのは皮肉で大変面白いと感じた。

 

宮殿で絵を見たあとウィーン市街を散策することにした。ウィーンに来てまでウォーホルなどの現代美術を鑑賞し、そしてオペラでも見て歴史を感じようと思ったがドレスコード的に私達の服装はダメだったので代わりにオーケストラの演奏会に行くことにした。

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演奏会が始まるまでの休憩としてホテルザッハーにてザッハトルテを食することにした。ホテルザッハーはウィーンを代表する高級ホテルである。さすがに高すぎて宿泊することはできないが、カフェは非宿泊客にも開放されているので利用することにした。それにしてもそろそろディナーの時間になるころであったが多くの客が訪れ列を作っていた。しばらく待った後メイド服を着た店員に案内され入店したが、まず店内のアンティーク家具など格調が保たれつつもモダンさを感じる素晴らしい店内だった。

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私たちは王道のザッハトルテと店が勧めてきたパンケーキを頼むことにした。

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そもそもザッハトルテとは1832年ウィーン会議開催の折、時の宰相メッテルニヒが僅か16歳のパティシエ、フランツ・ザッハーに命じて作らせたのがこのお菓子である。

 

日本でもデメルザッハトルテを販売しているがどちらが本家なのだろうか?という疑問に対し辻仁成の「ザッハトルテをホテルザッハーで」が答えてくれた。

 

考案者フランツの息子エドワルドの代に、一族が経営するホテルザッハーが経営難に陥り、オーストリア王室御用達菓子司のデメルに助けを求め、援助の見返りとしてデメルでのザッハトルテの製造販売権を渡す。

エドワルドの死後、ザッハ遺族側がオリジナルザッハトルテの商標を使わないよう求める裁判を開始。
7年に渡る裁判のあと、裁判所は双方にザッハトルテの生産販売を許可、そして、ホテルザッハーのものは『オリジナルザッハトルテ』として、デメルのものは『デメルザッハトルテ』と称するようになった。

 

「ザッハトルテをホテルザッハーで」 辻 仁成 | Design Stories

 ではデメルのとどう違うのかというとデメルザッハトルテはコーティングチョコとケーキの間にだけアンズジャムが塗られている。オリジナルのザッハトルテはさらにバターケーキを二層にしてそこにもジャムを挟みこんである。この違いだけのようだ。かつて製法は秘密であったが今では製法が知られ秘密でなくなったことによりウィーンを代表するお菓子となったようだ。

 

ザッハトルテの味は甘いのにそれほど甘さを感じない。
添えられている生クリームと一緒に食べるとその甘さが口中に打ち寄せながら広がる。やっぱりポイントはアンズジャムだ。

甘酸っぱいアンズのジャムがバターや砂糖やチョコレートの力強さを和らげる。
単純な仕掛けなのに複雑な味わい、驚き、錯覚を食べる者に与える。

 

一緒に注文したパンケーキもアンズが使われており、パンケーキの甘さを単調にさせず、味に深みを与えており実においしかった。

 

そしてホテルザッハーを出て演奏会へ向かうことにした。確かプログラムは

ドン・ジョバンニから序曲、アリア、デュエット、そしてフィガロの結婚魔笛

アイネ・クライネ・ナハトムジークなどのセレナーデ、交響曲40番、41番”ジュピター”、ピアノ・バイオリン・フルートコンツェルトなどハイライトが続き、

ヨハン・シュトラウス、フィナーレはシュトラウスの”美しく青きドナウ”、ラデツキー行進曲だったはずだ。日本でクラシックなんて聞かなかったのにウィーンに来て突如音楽に目覚めるのはいかにもミーハーな日本人らしく逆にこの国民性をいとおしくも感じながら演奏を楽しんだ。

 

演奏会のあとホテルザッハーとは別のカフェに入り、ピアノを聞きながら明日への計画を立てた。

 

そして計画を立てた後カフェを出て二日ぶりのベッドとシャワーを得て眠りについた。

 

次回!! 『続・ウィーン編 シェーンブルン宮殿』お楽しみに!!