道祖神様の下着は何色か。

404 your girlfriend not found

高野聖

f:id:n_hermes:20210921095439j:plain

その年の7月の中旬まで梅雨が長く続き、このままでは冷夏ではとニュースを騒がせていた。

 

下旬になると梅雨も明け、途端に夏の訪れを身をもって味わうことになった。定期試験も終わり、夏休みが到来した私は、日本の夏を体感するべく、飛騨へ向かうことにした。

 

深夜バスで名古屋に到着し、岐阜を経由して白川郷へのバスターミナル高山へと向かった。

f:id:n_hermes:20210921102114j:plain

高山へ向かう高山本線木曽川や飛騨川、神通川といった河川に沿って通っており、車窓からは飛水峡、中山七里といった名所を見ることができた。

f:id:n_hermes:20210921102204j:plain

鈍行で行ったため、名古屋から3時間半もかかったが、高山も非常に美しい町であった。もともと、高山は豊富な山林・鉱山資源に目を付けた幕府により直轄領であった。天領の役所であった高山陣屋を中心として、今もなお江戸時代の街並みを残している。

f:id:n_hermes:20210921102344j:plain

f:id:n_hermes:20210921102316j:plain

f:id:n_hermes:20210921102430j:plain

高山から白川郷は再度バスで向かうことになるが、全長11㎞にもなる長大トンネル「飛騨トンネル」を抜けると、日本人の考える里山を体現したかのような風景が広がっていた。

f:id:n_hermes:20210921103716j:plain

白川郷を見下ろす荻町城跡展望台にて

f:id:n_hermes:20210921104051j:plain

 

f:id:n_hermes:20210921104258j:plain

f:id:n_hermes:20210921104236j:plain



白川郷といえば合掌造りであるが、いつ始められたかは定かではないそうだ。また、合掌造りという言葉自体も1930年ごろにフィールドワークを行った研究者によって呼ばれ始めたといわれる。(日本国政府文化庁 (1994) 「合掌造り家屋の成立時期」より)

 

現在では水田が広がっているが、戦後に転作されたものがほとんどを占めており、もともとは焼き畑による稗、粟、蕎麦といった雑穀、そして養蚕のための桑が占めていた。稲作に不向きな土地柄であり、その分家内工業が発達し、家屋の大型化、多層化が進んだと考えれる。f:id:n_hermes:20210921104126j:plain

合掌造りの屋根はいずれも妻を南北に向けている。これは

  1. 冬場の融雪と茅葺の乾燥
  2. 南北に細長い谷に集落があるため冬場の強風に対して、受ける面積の縮小
  3. 夏場は屋根裏の窓を開けて風通しを良くし、蚕が熱でやられないにする

といった目的があったと考えられている。

(水村光男 (2002) 『オールカラー完全版 世界遺産第7巻 - 日本・オセアニア講談社講談社+α文庫〉)

f:id:n_hermes:20210921104158j:plain

f:id:n_hermes:20210921104228j:plain

f:id:n_hermes:20210921112327j:plain

美しい里山を散策しながらも、一種の違和感そして不気味さを抱き始めた。それは、世界遺産に登録された場の宿命ともいえる観光地化により、生活感の喪失を感じたためではないかと考える。

 

かくいう私も観光客として訪れているため、とやかく言うことではないと思うが、この違和感、不気味さについて考えていく。

 

まず、不気味なものについてフロイトは、かつて親しくなじんていたものが個体発生的にも系統発生的にも文明化の過程でいったん抑圧された後、何らかの契機に不意に回帰したものと捉え、不気味さとは、それに直面した文明人が感じる不安や恐怖であると論じた。(ジグムント・フロイト 須藤 訓任/藤野 寛【訳】 フロイト全集〈17〉1919-1922年―不気味なもの、快原理の彼岸、集団心理学(2006))

テリー・キャッスルはこの不気味なものの発生条件となる知のモーメントを18世紀の啓蒙主義に求め、不気味なものが啓蒙期の歴史的条件の下で「発明」されたと論じた。近代及び現代は啓蒙的知が世界を説明する原理として内面化されおり、不気味なものは文明の光が落とした影として生み出され、近代化、現代化の主体である我々を恐怖に陥れる。では、この白川郷という美しい里山に私が感じた不気味さの正体は何であろうか。

これまで人間は自然と共存する形で生存しており、自然と慣れ親しんでいたはずである。しかし、文明化と共に自然を切り開き共存ではなく、利用するという形へ変容していった。そこで、旧来の里山といった自然と人工の調和ともいえる環境を訪れるも、スマートフォンを所有し自家用車で訪れる観光客、白川郷を囲むようにある高速道路といった現代技術があることで、かえって里山が現代とは切り離された異界のように感じ、不気味さを感じているのではないかと私は考える。

 

美しき里山世界遺産による観光地化の弊害を目の当たりにし、あれこれ考えながら再度バスにて福井へ向かうことにした...

f:id:n_hermes:20210921120754j:plain