或阿呆の東欧旅行④ プラハ編-3
東欧旅行 プラハ編 最終回
絶景を味わい一通りプラハを満喫した私たちは次の目的地を考えることした。そして北に行きポーランドへ行くか南へ行きオーストリアに行くかの二択となった。悩んだ末、ポーランドのクラクフに行き、アウシュヴィッツにも行くことに決めた。昼ご飯を済ませプラハ中央駅に行きクラクフ行きの列車に乗ることにした。欧州の鉄道は日本のように改札があるわけではなく検札という形で乗車の確認をする。私たちは欧州のほとんどの列車を利用できるユーレールパスを購入していた。だからパスを持っていればどの列車にも乗れると思っていた────
だが、列車に乗る寸前に鉄道会社の職員に止められ
『座席番号は?』
と言われた。最初は一体何のことだと思った。何度パスを見せてもそれではないと首を横に振られ続けた。どうやらユーレールパスは乗車券のみであり座席指定には別料金がいるとのことであった。そこで空席はないかと聞くと満席であり結局乗れなかったのだ!!
『いや乗れないのは困るよ!!またしても計画が壊れてしまった!!(10分前に建てた計画)』
乗るはずだった列車を目の前で見送ったあの時は絶望そのものだった
そしてさらなる絶望が私たちに襲い掛かる…
クラクフ行きのバスや列車を探したけど結局寝台列車しかないやんけ!(# ゚Д゚)
現在時刻は16:00
私たちが乗る寝台列車の出発時刻は23:00
もうチェコの通貨はポーランドの通貨に両替してしまったし、ここから両替しなおすのは馬鹿らしい…
出発まで7時間文無しで再度プラハを観光する羽目になったのだ!!!
いやプラハの街並みは好きだったが、気持ちは完全にポーランドへ行くつもりだった。ここからプラハ観光の気持ちに戻せと言われても…
夜のプラハにあれほど肩をおとして歩く観光客は財布を盗まれたもの以外いないだろう。
夜のプラハは昼間とは異なる顔を見せてくる。
新市街に足を踏み入れた瞬間、これまで見た街とここが同じ場所なのかと思うほどネオンに彩られた現代の象徴そのものが広がっているではないか。通りにはマクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンといったファストフードやクラブが並び、しばらくすると娼婦が声をかけてくる世界があった。やはり中世の建築が残る街にも私たちのような観光客とともに現代文化というものが流入することに仕方なさを感じるとともに欲望にはあらがえない人の宿命を感じた。
夜のプラハをあとに同じ過去と現代が共存する街である京都と重ねながら感慨にふけり次の目的地へ思いを馳せて駅へ戻ると私たちにまた受難をうけた。
その日プラハではサッカーの試合があったらしく試合が終わりサポーターが家路へ着く列車待ちのようだったが、どうも試合に負けたらしくたいへんイライラしている様子だった。触らぬ神に祟りなしとしてからまれても無視を決め込んでいたが人生はそんなに甘くなかった…
そいつらが乗る列車、同じやんけ!!!
終
制作・著作
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ⓃⒽⓀ
列車に乗れなかった以上に絶望していると、さらに不幸なことに…
列車めっちゃ遅れてるせいでサポーターキレてるやんけ!!!
共産圏ファック!!!!
当たり前のように30分以上遅れ、怒りの頂点に達したサポーターたちは列車が来ると鉄道職員に文句を言うかとと思えば
応援するチームの応援歌を一斉に歌い始めたのだ!!
もう訳が分からんアスペかよと思いながら周りを見るとどうみても私と同じような陰キャサポーターも歌っているのである。集団化したものより恐ろしいものはないと再度実感した時である。
どうやらサポーターたちは私達とは異なり寝台ではなく安価な『ムーンライトながら』のように座席のものが多いようだった。やはり金をケチらずに寝台にしたのは英断だといえる。
だが、この動くスラム街はこれだけにはとどまらない…
自分の寝台に荷物を置き検札を済ませトイレに行こうとおもったがトイレがあかない、ノックしても中に人がいる様子はなく車掌に聞くと衝撃の発言をしてきた…
この列車古いからトイレのドアが開けられないことがあるんだ~(満面の笑み)
ハァーーーー?!(疑問)
ハァーーーー?!(威圧)
ハァーーーー?!(邂逅)
ハァーーーー?!(激昂)
やっぱ共産圏f(ry
一瞬感情に身を任せたものも、すぐに冷静になりどうやってトイレをするか考えることにした。考えに考えた結果、ボトラー(ペットボトルにすること)を覚悟したその時隣の寝台から聞いたことのある曲が聞こえた。
それは…
都の西北 早稲田の森に
聳ゆる甍は われらが母校
われらが日ごろの 抱負を知るや
進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ 久遠の理想
かがやくわれらが 行手を見よや
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ
そうなんという奇跡であろうことか私の大学と対をなす
名門死大 早稲田大学ではないか!!
プラハに来るのはわかるがこんなスラム列車に乗るとは流石早稲田である。
どうやら卒業旅行で来ているらしいが、そんなことはどうでもよくトイレのことを伝えると、天下の名門らしき天才的案を私たちに示してくれた。
その案とは…
『洗面台の上に立ち洗面台を便器として使用することだ!!!』
そのとき私達には道徳などという高尚なものは失っていた。マズローの欲求5段階説にあるように道徳を守るなどという欲求はトイレをしたいという生理的欲求が阻害されている中では生じないのだ!!
結局、私たちはその早稲田生とともに洗面台でトイレをするという社会性を捨てることで失禁という社会的死を免れたのである。
翌朝クラクフに到着したためワルシャワまで行く早稲田生たちとはそこでお別れをした。
プラハの滞在の中で私たちは人間的に少し強くなったと思う。この人間力が今後の旅に活かせるとよいのだが…