道祖神様の下着は何色か。

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或阿呆の東欧旅行③ プラハ編-2

 

東欧旅行 続・プラハ

 
 
前回はプラハ旧市街地についてでしたが、今回は前回の続きとなりますので前回の記事もよろしくお願いします!
 
 

プラハの街並み、おとぎの国かよ!(歓喜)

 
この街並みの美しさに言葉はいらない──
 
ただ視覚から伝わる情報だけで胸がいっぱいになる。そんな街並みに出会ったのは初めてだった。広場から一本裏に入ると喧騒な観光地から、静謐なひとときが広がっており、そんな世界にいると私はいつの時代を生きているのかがわからなくなる。

 この美しい街並みを進んでいくとスメタナ交響詩『我が祖国』の『モルダウ』の舞台となったモルダウ(チェコ語だとブルタバ川)とともにカレル橋が見えてくる。
 
◆『カレル橋』

 この橋はこの地に都を置いた神聖ローマ皇帝カール4世の名を冠した橋だが当初はプラハ橋、または石橋と呼ばれていたそうだ。16連のアーチが優美な帝都にふさわしい立派な橋である。ゴシック様式の橋を守るための橋塔があり、欄干にはバロック様式の彫像が並んでいる。しかし、この橋の背後に広がる1面オレンジの屋根の建物とその建物達を統べるかのようにプラハ城が街の頂上に建つ風景は何度みても美の極致と感じる。
 
 
旧市街地域からこの橋を渡ると市街地を一望できるプラハ城のあるフラッチャニ地区となる。
 

<フラッチャニ地区のおすすめ観光スポット>

 

 

◆『聖ヴィート大聖堂

 

 橋を渡り丘の頂にあるプラハ城の中に一際大きく雄大な佇まいを魅せているゴシック様式の建物が聖ヴィート大聖堂だ。チェコ最大かつ最重要であるこの教会の正式名称は「Katedrala svateho Vita, Vaclava a Vojtecha」で、ここには大聖堂の創立に携わった「聖ヴィート」「聖ヴァーツラフ」「聖ヴォイチェフ」の3名の聖人の名前が使われている。建築は14世紀中頃から始まり、途中戦火に見舞われながらも数多くの建築家の腕によって建造が進められ、1929年に漸く完成に至ったプラハの歴史を歩んできた教会である。
聖ヴィート大聖堂の内部は、白を基調とした美しい講堂となっており、天井付近は自然光が差す窓が設けられていて明るく、また建物正面のバラ窓が大変美しいものとなっている。

やはりこの聖堂の目玉は壮大なステンドグラスである。特にこのステンドグラスはアールヌーヴォーを代表するチェコの画家『アルフォンス・ミュシャ』の作品である。アールヌーヴォーとは19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパ全体に人気を博した国際的芸術運動である。特に家具、ファッション、建築、工芸品、グラフィックデザインなど装飾芸術として発展した。フランス語で『新しい芸術』と意味するように花や植物の自然にみられる形状や構造、および緩やかな曲線を用いた従来の様式にとらわれない自由な装飾性が特徴である。チェコにおけるキリスト教をテーマとし、チェコへの伝教したとされる人物やチェコ守護聖人が登場する、このステンドグラスはミュシャによる祖国への愛と感謝が彼の優れた色彩感覚を基に描かれた鮮やかな色使いと構図によって多くの人を魅了させる。

 

せっかくミュシャを紹介したので展覧会も宣伝する。2019 7/13-9/29までBunkamuraザ・ミュージアムにて『Bunkamura 30周年記念 みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ― 線の魔術』が公開される。興味を持った人はぜひ見に行ってアールヌーヴォーの世界を味わってほしい。

www.ntv.co.jp

 

大聖堂の展望塔の287段の階段を上ったものしか見れない景色がこれである。

 

プラハ城からモルダウ川、カレル橋、プラハ市街を見下ろす絶景が広がっている。冬の冷たく澄んだ空気が肺に充満され白い雪とオレンジの屋根が無限に広がる風景とともに私の心はプラハという街とひとつになったような気がした────

 

この感動に包まれながら次の目的地へ行きたいと思っていたのだが…

 

次回!!『プラハ編 最終回 天国から地獄』お楽しみに!