南紀巡礼行記④ 終
紀伊勝浦を発ち那智へ向かった。社や滝は本宮同様山奥にあるのでバスで向かうことにした。ここで私は熊野古道は嫌というほど歩いたのにもかかわらず、また歩き始めた。
那智へと続く大門坂はその名の通り大きな門があったことに由来し、現在昔の面影を最も色濃く残している。距離1㎞高低差100mほどなので昨日一昨日ほどではないがやはり疲れる。
大門坂を登りきると熊野那智大社に着く。那智大社の境内は社とともに青岸渡寺という寺もある。これは神仏習合の名残であるが、もともとは熊野三山全てに仏堂はあった。しかし熊野本宮大社、熊野速玉大社では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されたが、那智では観音堂が残され、やがて青岸渡寺として復興した。もともとは那智の滝のを神聖視する原始信仰であったため他の2社よりも創建は遅かった。
そもそも熊野三山の神々はヤマトの神ではないのではないかと考える。古代熊野地方で人が多く住んでいたと考えられるのは熊野川河口付近の新宮近辺で新宮が熊野三山のなかではもっとも古い歴史をもつ神社であろうと考えられる。(推測に過ぎず、本宮があることから新しいのかもしれない)その新宮の主神は、熊野速玉大神と熊野夫須美大神の二神で、この二神は夫婦神だとされる。熊野速玉大社近くにある神倉神社が信仰の起源ではないかといわれており神倉神社にはゴトビキ岩というご神体がある。
これを見てどう思う?
・・・
どう見ても男性器です。
本当にありがとうございました。
真面目に古代の人々はあの岩に象徴的な意味での自分達の父親の姿を見たのではないだろうか。自分達の父神に速玉神という名を付け、父親だけでは子供を生むことすらできないため、夫須美神という母神を生み出し、1組の夫婦神として崇拝するようになったのではないだろうか?熊野速玉大神と熊野夫須美大神は、自分達を生み出した「親神」ということで崇拝されてきたのではないかと考えてもよいのではないか?近世には熊野速玉大神はイザナギに、熊野夫須美大神はイザナミに同定されたが、たしかに熊野速玉大神・熊野夫須美大神は、熊野版のイザナギ・イザナミということができるといえる。新宮の主神のひとつである熊野夫須美大神を、のちに那智が主神とするようになったのだろうが、なぜ熊野夫須美大神の名を持ってきたのかは、やはり那智の信仰の起源となった那智の滝のためだと思われる。那智の滝の姿は濡れた女性器に比定されており、速玉神が屹立した男性器であるならば、濡れた女性器を思わせる那智の滝にはその妻である夫須美神の名がふさわしいと考えられたのであろう。
やっぱりHENTAIの遺伝子は古代からあったのだ!!
では本宮の神である家都美御子大神は何者かと考えたが、いまいちわからないといったのが感想である。現在は山の上にあるが当時は熊野川の中州の大斎原に存在していた。大斎原は、川に浮かぶ森、川面から突き出た森であり原生林が覆っていた時代においても、周囲を川に囲まれた姿は人々に崇拝の念を抱かせたのではないかと思われる。そこにどのような神格を与えたのかはあくまでも想像だが、この神の頭は『ケ』と読むことから食を意味するものであったのではないかと考える。狩猟採集時代において食料獲得は自然に左右されていたはずなので自分たちへ食料という恵みを与えるものとして神性を感じたのであろう。
参詣した当時は創建1700年記念の改修が行われており一部しか見れなかったが速玉大社同様美しい朱の拝殿が美しかった。
那智の滝に行く前に華厳の滝に訪れたがやはり水量、落差日本一は圧倒的であった。
那智を去り、また勝浦へと戻った。「勝浦漁港」は、日本屈指のまぐろ延縄の漁業基地として有名である。まぐろといえば静岡の焼津や神奈川の三崎や青森の大間なども有名だが、生鮮まぐろの水揚高では、この勝浦漁港が日本一の量である。
というわけで名物のマグロ丼をいただくことにした。
これはマグロの赤身、中トロ、大トロ、せせり、ビンチョウとマグロの部位をふんだんに用いたものである。口の中で溶け行く魚の脂の美味しさたるや!
勝浦は温泉も有名で駅前に足湯があり旅の疲れを癒してくれた。
そして大阪へ向けて電車に乗った。
紀勢本線は新宮を境に熊野山地と海がはっきりわかれてとても美しかった。
車窓には美しい海とともに様々な人間が夏を彩っていた。
くしゃくしゃのTシャツの男やセーラー服の学生、海水浴場で遊ぶ小学生etc....
今回の旅は多くの判断ミスとともに様々な人との出会いがあった。都心の大学に進学し、喧騒に包まれた都会では皆が日々に追われる一方で(もしかすると逆に追いかけているのかもしれない)、旅で出会い私の世話をしてくれた方々は自分の時間、お金を使ってまでも親切にしてくれた。たまたま出会った見ず知らずの人間を手助けすることは容易ではない。インターネットの普及により人々は簡単に連絡を取れるようになったが、はたして心の距離は変化したのだろうか?かくいう私もSNSやブログを書いているようにすっかり情報化された世界に組み込まれてしまっている。やれ日本は亡国だなんぞと評論家などは言うが日本は今回の旅で出会った人がいる国はまだ捨てたものでないなと思った。
最後に旅でお世話になった方への感謝とともに夏に関する短歌で終わらせるとする。
約束が叶うことより約束を交わしたことが夏の頂点 / 倉野いち
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ/ 小野茂樹