道祖神様の下着は何色か。

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南紀巡礼行記②

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前回は謎に煙草について語っただけで終わったので今回は伊勢神宮についてちゃんと書くことにする。

 

読書しながら煙草を吸い時間をつぶし、ようやく列車が来た。

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何もない柘植駅とこれでおさらばである。大阪付近の関西本線は通勤路線といったところだが私が乗った区間は非電化でローカル色が非常に強い。

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車窓からは夏色に染まった田園風景が広がる。

 

ようやく本来より2時間ほど遅れて伊勢に到着した。

 

駅を降りるとすぐに社があり、伊勢神宮とあるが、その社の主祭神天照大御神ではない。伊勢神宮天照坐皇大御神天照大御神)を祀る皇大神宮と、豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮が主となっており、一般に皇大神宮は内宮、豊受大神宮は外宮と呼ばれる。駅から近いのは豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)である。

 

豊受大御神とは衣食住の神であり、『古事記』では伊邪那美命から生まれた和久産巣日神の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売神保食神などと同様に、稲荷神と習合し、同一視されるようになった。

 

外宮鎮座の由来は記紀にはなく、伊勢神宮外宮の社伝『止由気宮儀式帳』では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の御饌の神、等由気太神=豊受大御神を近くに呼び寄せなさい」と言われたため、外宮に祀るようになったとされ、豊受大御神はもともと伊勢の神ではないようだ。

 

豊受大御神日本書紀には記述がなく古事記に名前と親しか記されていない。だが同一視された大気都比売神保食神には共通する神話が存在する。どちらの神も体中から食物を出していたため、不快に感じた神に殺害され、遺体から穀物が生じたというものである。

 

殺された神の死体から作物が生まれたとするものである神話はハイヌウェレ型神話と呼ばれ、世界各地に見られる食物起源神話の型式の一つである。芋類を切断し地中に埋めると、再生し食料が得られることが背景にある。この神話は東南アジアやオセアニアから日本へ伝わったものと考えられる。しかし日本神話においては、発生したのは宝物や芋類ではなく五穀である。そのため日本神話に挿入されたのは、東南アジアから一旦中国南方部を経由して日本に伝わった話ではないかと思われる。

 

こんな神話は置いておいて、外宮境内は木々に覆われ駅前の俗な世界とは異なり、非日常空間を形成している。

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豊受大御神を祀る正宮のほかに正宮と関係のある神様が祀られている別宮も参拝して、内宮へと向かった。

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内宮と外宮は3㎞ほど離れており、バスが運行されているのだが私はバス代をケチって徒歩で行くことにした。この選択が大不正解であった。8月頭の気温が30度を優に超える中、太陽の熱が放射するアスファルトの道を30分も歩くのは地獄であった。

 

結局、バス代以上に飲み物にお金を使い、ただ肉体的にも金銭的にも負担を強いただけであった。

 

ヘロヘロの状態で内宮の参道に到着したが、参道には古き街並みとともに洒落たカフェや名物グルメを提供する店が数多くあった。

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私はお昼休憩としてありきたりだが赤福を食べることにした。いやあ、うまい。この餡の甘さが私の疲れた体をいたわってくれるようであった。

 

参道を通り抜け内宮境内へ入ると先ほどまでの活気に満ちた空間とは全くことなる空間が広がっていた。

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境内は寂莫ともいえぬ御稜威津々浦々と及んでいる。先ほどまで騒がしかった観光客たちも空気を察したのか、とたんに静かになった。五十鈴川にかかる宇治橋を渡ると完全に俗世と切り離された世界が広がっていた。

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内宮の正宮の目の前まで行くと畏怖ともいうべきか底知れぬ冷やかで厳粛な感じが頻しきりに首筋に襲いかかって、全身がゾクゾクして来るのを我慢する事が出来なかった。外宮、内宮の正宮とも賽銭箱はなく、「私幣禁断」といい、天皇陛下以外のお供えは許されていなかったためであるが、正宮に実際に訪れると個人的な願いというものより、
日頃の加護に対する感謝を神に伝える場所だと自然と思い知らされるような場であった。 

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伊勢の後、志摩や鳥羽のほうへ行くか考えたが、せっかくならということで熊野三山を参詣しようとなり新宮まで行くことにした。

 

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駅の待合室にて

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日本有数の雨量を誇る尾鷲。尾鷲の天気だけ違うというのは本当でこの写真を撮った直後雨に見舞われた。

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新宮に着いたときはすっかり夜で駅の近くをプラプラ歩いていると寿司屋があったので入ることにした。

 

夕食を食べビジネスホテルでも探そうかと思っていたが、本当に宿泊施設がない。なんとか民宿の人に無理を言って、泊めてもらった。

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民宿には居酒屋が内接しており、美人な店員さんにあおられたのと、旅の疲れかかなり酔ってしまいあまり覚えていない。。。。

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酒に酔って終わりました。とあまりにもひどいが頑張りすぎるとやる気を失ってしまうので、まあこんなところで終わるとするか

 

次回 『熊野三山参詣 地獄の熊野古道』 お楽しみに!!