道祖神様の下着は何色か。

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佰萬石の羅刹

 

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曇った十月の或る日。とはいっても前回の仙台の旅から帰った翌週————

 

父親から突然電話がかかってきた。

 

「明日から母さんと金沢に行くけど、お前も来ない?」

 

ん...??

 

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こいつは何を言っているんだ?!

 

前日に金沢に行くと告げられ、謎に私の分のホテルも予約しているとのこと。訳がわからない。急いで準備をして翌日学校が終わるとすぐに金沢へ向けて新幹線に飛び乗った。

 

金沢駅に着くと両親がこっちだと手を振っている。金沢に到着当日は夜も遅かったのでその日はホテルで休むだけであった。こんな感じで家族と奇妙な金沢旅行が始まった。

 

翌朝、私たちは近江町市場へ向かった。金沢の中心地にあるこの市場は1721年から加賀藩前田家の御膳所として、また市民の台所としても賑わい、300年近くもの間、金沢の人々の生活を支えてきた。狭い小路を挟んで並ぶ約180店の店先で、日本海の新鮮な魚介や地元産の野菜、果物を中心に、漬け物、菓子類、生花、衣類など、さまざまな商品が威勢の良いやりとりの中で売り買いされ、市場はいつも活気に満ち溢れている。

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新鮮な魚介類やコロッケをはじめとする揚げ物など、店頭ですぐに食べることができるお店もあり、市場は早朝ながらも多くの人で活気に満ち溢れていた。私たちは朝ごはんとして寿司屋に入ることにした。

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朝一にも拘わらず多くの人が並んでいた。この店は海鮮丼が有名なのだが、朝から厳しいので朝握りを頼むことにした。ノドグロの炙り寿司が絶品であった。豪華な朝食の後、日本三名園の一つである兼六園へ向かった。

 

兼六園は17世紀中期、加賀藩によって金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園であり、園名は、松平定信が『洛陽名園記』を引用し、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6つの景観を兼ね備えていることから命名した。回遊式とは、寺の方丈や御殿の書院から見て楽しむ座観式の庭園ではなく、土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山を築き、御亭や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園である。いくつもの池と、それを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、多彩な樹木を植栽しているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも言われている。四季それぞれに趣が深く、季節ごとにさまざまな表情を見せるが、特に雪に備えて行われる雪吊は冬の風物詩となっている。

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金沢は泉鏡花徳田秋声室生犀星など著名な作家たちを輩出したが、室生犀星の随筆「名園の落水」に兼六園が描かれている。室生犀星は庭オタクで「庭の木」、「日本の庭」とか「庭をつくる人」 など庭に関する文章を数多く書いている。「名園の落水」では園内の三芳庵という料亭近くにある夕顔亭という茶亭について書かれている。正直、そこまでメインの場所ではないが、彼は下らないと思いながらも、小さな崖から落ちる水の音に心惹かれ、仔細に美しく描写している。後に犀星は親友芥川をこの地へ連れていき、感動させた。犀星は芥川を兼六園ファンに取り込んだ。

本多邸を出て兼六公園へ行つて見る気がした。いつも東京からの客の案内役をしてゐて一人でゆつくり行つたことがないからである。翠滝の洲にある夕顔亭に李白の臥像を彫り出した石盥があつた。水はくされてゐて虫が浮いてゐる。お取り止めの石ださうであるが、蒼黒い肌をしてゐて一丈くらゐ廻りのある大椎の立木のかげにあつた。
 滝壺のすぐわきにお亭があつた。お亭の下は池の水が滝の余勢で弛く動いてゐる、お茶をのむためにむしろ冷爽すぎるお亭の中へ這入つて見た。十年前に一度這入つたがいまが初めてである。池の中洲に海底石の龕塔がんたふが葉を落した枝垂桜しだれざくらを挿んで立つてゐる。それを見ながら横になつてゐると、滝の音とは違ふ落ち水のしたたりがお亭の入口の方でした。小さい崖になつてゐて丸胴の埋め石へ苔からしぼられた清水が垂れる些ささやかな音だ。そこは四尺とない下駄をぬぐところである。よく見ると白い寂しい茸が五六本生えてゐて、うすぐもりの日かげが何時いつの間にか疎いひかりとなり、藪柑子やぶかうじのあたまを染めてゐる。これはいいなと思ひ、わたしは龕塔がんたふの方へ向けたからだを落水の方へゐなほした。そのとき一丈三尺の龕塔の頂上の一室に何だか小さい石像のほとけさんが坐つてゐるやうな気がして、また首をねぢむけたが、そんなものがゐる筈がない。寂然と四方開いてゐて、松の緑を透した空明りが見えた。秋おそく落ち水聴くや心冴ゆ……でたらめを一句つくり茶をのんで、けふは実に悠悠たる日がらだなと思つた。
 滝の落ち口のお亭の前を通つたときに、この春芥川君が来て泊つたお亭を覗いてみたが、秋深く松葉が散らばり二三本の篠竹の青い色を見られる格子戸に、人のけはひすらしなかつた。亭亭たる松の梢にある飼箱に群れる小鳥の声がするばかりであつた。このお亭にこのごろ泊つたら寒からうと思つた。
 曲水のほとりは水もうつくしくながれ、玉石の敷かれたあひだを喜んで上る目高が、群れてあるひは雁行してゐた。わたしはむかし歌合せなどの催しのあつたらしい此の曲水が好きだつた。石の姿や、その石をつつんでゐるつつじをながめてゐるうち、石のしたに敷島のからが流れてゐるのを悲しく見た。が、つつじの抜き枝や、円物づくりの姿のくづれたのが気になつて、何故手入れをしないのかと考へた。そしてこれが自分の庭だとしたら、終日あほらしい顔をして此処に佇たつて、水の動いて流れるのに倦きることはないだらう。水の流れるのは浅いほど美しく表情も複雑であどけなく思はれるが、深い水は何か暗澹として掻き曇り、心におしつける重りかかるものがあつた。それにくらべると曲水は古いがその感情は新鮮である。手を入れて掬ひたいやうだつた。石と石との間に決して同じい姿をしない水のながれに、いい着物のひだなどにみる媚びた美しさがあつた。古い言草で飛んでもない思ひつきだが、水はいまさら美しいと思つた。
 卯辰山の見える広場のベンチに近在のものらしい小娘と老母とが、塩せんべいを齧つてゐる。そのあたりに紙屑や吸がらなどが散らばり、芝は剥げ落ちそこだけ新開地のやうな荒れてゐる風致であつた。それも小汚なく東京くさく荒れてゐた。――そこから霞ヶ池への道路、だだつ広い空地の芝草もあとかたもなくなつてゐた。しかもその荒れた有様を取り止めようとしてゐない。名園を守るに市役所や県庁のともがらに委せておけないやうな気がしたが、しかしわたしはそれを嘆くだけである。わたしの役目を嘆くより外にはない。――霞ヶ池は老松にかこまれ、蒼ぐろく鱗波を掻き立てながら曇天の下にあつた。だが、五位鷺やきじの啼く声はなかつた。あるひは水すましが水の面をすべるくらゐである。わたしだちの子供のときよりか松も大きくなつたらうが、景色はこのあたりが一番古びて行つてゐるやうに思はれた。竜のひげが一そう青青と池のまはりを幾段にも縁取つてゐる。その藍いろの実を拾ふために子供が二三人群れてゐる外、池のまはりには人がゐなかつた。松と苔の公園は至るところに荒廃の跡が著しかつた。
 池に面した傘山といふのは、もう奇岩怪石の跡はあつても、苔はむしられ石は乱れた姿のままであつた。そのまはりの松や楓の大木、その木の間を透く池の面のどんよりした冷たさはよかつた。幼時の折、何の仕草もなくこの山の頂にある傘の形をした友待風なお亭で、ぐるぐる廻る傘を廻したものであつたが、あたりの皮のむけた赤土を見ただけでやはり荒れてゐると思つた。
 そこを下りて噴水のある小さい流れへ出たが、その小流れはつつじの茂りで隠されて了つて、音だけが配石の間から潺湲せんくわんとして聞えた。或ひは少しの音すらないところがあつたりした。石は苔でつつまれ指さきでも掻けぬほどになつてゐた。――もとの翠滝のほとりへ出て夕顔亭の落水を余処目よそめに見ながら公園の坂を下りかけたが、
「あの落水は公園で一番いいところぢやないか。」
 さう思ふと、名園を背景にしたせゐであらうが、あんな下らない落水が自分の心を惹くのも、おのづから自分にふさはしい好きなところを選んだのだと思つた。しかもそれは古くからあるのでなく、恐らく夕顔亭の主人がこさへたものであらうと思つた。わたしはもう一度佇つて其処の小さい崖と、落水の音を聞いた。 

 

名園の落水 室生犀星

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他にも犀星の出世作性に目覚める頃」や泉鏡花の「婦系図」、「滝の白糸」など様々な作品に兼六園は舞台となっている。私が訪れた時は北陸新幹線開通もあり、多くの観光客でにぎわっていた。松を主役に、桜、梅、カキツバタなどの木々や花々が園内を彩り、池や小川の水辺が和の趣きを感じさせてくれた。

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兼六園を見た後、金沢の名物である不室屋に行き麩のランチコースを食べた。

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どれも美しく飾れているが、麩はグルテンの塊なので想像以上におなか一杯になった。

昼食後は金沢を離れ七尾へ向かった。

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七尾へ向かう途中、ドライブできる砂浜、千里浜なぎさドライブウェイを通った。この海岸は国内で唯一、砂浜をドライブできる海岸であり、世界的にも珍しいそうだ。訪れた時は夕方で、朱を流しながら秋の太陽をどっぷり飲み込んでいく海の様は感慨深いものがあった。日没を見届けた後、七尾にある和倉温泉へと到着した。旅館ではカニなどの北陸を代表する食材が卓を彩っていた。食後一息ついてから露天風呂へと向かった。温泉とともに夜、船の燈火のように輝く星空の下、露天風呂から見える油を刷いたように鈍く光り黒い日本海が旅館の明かりによって時々金波、銀波をたてている景色が非日常をもたらし、日ごろの疲れを癒してくれた。

 

翌朝もまだ日が昇らぬうちに露天風呂へ入った。沈黙を包む波音は、夜が明けるとともにくっきりと鮮やかだったのが、鳥の鳴き声や船の汽笛や船によって生まれてゆく波によって打ち消される気がした。そして東から昇る灰青色の最初の朝の光がはるかな星と旅館の明かりのみで染まった海を最初は錫箔を張ったようだったのが、徐々に暗い青へと変わっていく。目の前に開けた果てしなく大きな眺めが 鬱積していたものをきれいに取り払い、きれいな大気が心を満たしていくようであった。

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朝食をとり、私たちは近くにある氷見へと向かった。氷見への向かう際の空は雲がちらちらと浮かんでいるものの、空の大半は澄んだ青色で、これは今の私の気持ちと同じくらいに快晴であった。

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氷見へ向かう途中雨晴海岸へ立ち寄った。「雨晴」という地名は義経伝説に由来すると言われおり、1187年、源 義経一行が山伏姿に身をかわし、奥州平泉へ落ち延びる中、弁慶の持ち上げた岩の陰で、にわか雨の晴れるのを待ったという伝説から「雨晴」という地名で呼ばれるようになったそうだ。また奈良時代歌人大伴家持も生涯のうちの約5年間を国守として越中で過ごした中で『馬並めていざ打ち行かな渋谿の清き礒廻に寄する波見に』と雨晴海岸を詠った歌が残されている。

浜から眺める岩礁富山湾越しに見る3,000m級の立山連峰雄大な眺めは、息を呑む美しさであった。

 

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美しき海岸を見た後、氷見うどんを食した。一般的な手延べうどんの場合、麺が折れにくいようあえてコシを出さない場合が多いが、稲庭うどんと同じで竹によりながらかける手縫いで作る氷見うどんは生地に対して力を加え練り上げるため、手延べの滑らかさと手打ちのコシを共に具有している特徴がある。つるりとした触感と喉ごしが最高であった。

氷見うどんを食べた後、再度金沢に向けて帰った。到着後、茶屋街を巡った。茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残しており、大変貴重な存在となっている。

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夜になるとまた茶屋街は違う味をだしてきた。茶屋街にある酒屋でこのお酒を買って金沢を後にした。

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人生初の北陸であり、北陸新幹線でさらなる観光客増加している金沢。加賀百万石の城下町として名に恥じることなく美しく歴史ある街であった。街並みだけでなく多くの文化がはぐくまれ食なども非常に美味しかった。また金沢から少し外れて能登半島和倉温泉や氷見などまだまだ多くの観光資源に恵まれており、東北同様、再度訪れたいと感じた。

 

 

ここまで魅了するのは、もしかすると人を惑わす魔物羅刹が金沢にはいるのかもしれない————。