道祖神様の下着は何色か。

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中山道中鐵栗毛

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武蔵野の尾花がすゑにかゝる白雲と詠よみしは、むかしむかし浦の苫屋とまや、鴫しぎたつ沢の夕暮に愛めでて、仲の町の夕景色をしらざる時のことなりし

 

東海道中膝栗毛十返舎一九が記したが、あれから東京の夕景色はさらに様変わりした。まあ10月に2回も旅行してから暫くプロレタリアートとして日々を溶かしていると12月となっていた。冬になったのでまた青春18きっぷが発売され、現実逃避というかなんというかつまらぬ浮世に飽き果て、東海道中膝栗毛の弥次郎兵衛と喜多八同様、旅に出ることにした。

 

しかし私は彼らのように相棒はおらず、行く先も伊勢ではなく名古屋にし、膝栗毛ではなく鉄道で、そして極めつけは東海道を使わず中山道、つまり中央線を使い行くことにした。

 

18きっぱーの朝は早い。毎度恒例安定の4:30過ぎの始発に駆け込んだ。東京都市圏輸送と郊外輸送の分岐点、高尾駅を過ぎると沿線は急に山岳地帯となる。数えきれないほど酔っぱらった学生を絶望へ送った、大月駅で乗り換え、甲府塩尻と乗りついできた。そして塩尻で中津川へ向かう。深い木曽谷に入り、木曽川の渓谷に沿って渓谷美が楽しめる。沿線からは名勝「寝覚ノ床」があり花崗岩が侵食された美しい景色が広がり、通過する際は速度を落として景色を見せてくれた。

 

津川駅からは岐阜県に入り木曽川と分かれると、線形が良くなり、徐々に沿線も宅地化が進んできた。盆地や台地を頻繁に上り下りし次第に都会の喧噪に引き戻された。

 

名古屋に着いたのは12:00前であった。新幹線なら2時間ほどで到着するのが在来線では7時間以上もかかる。名古屋駅についてまず味噌煮込みうどんを食べることにした。

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味噌煮込みうどんはかつおだしと名古屋名産の八丁味噌で作った濃い汁に、かための太いうどんを入れて煮込んだ料理である。九州出身の私はどうも名古屋の八丁味噌が口に合わなかったようだ。昼食後、浪人をしていた友人の志望校合格祈願のために熱田神宮へ行くことにした。熱田神宮三種の神器の1つである草薙剣を祀る神社として知られている。また織田信長桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願して見事に勝利を収めた話はあまりにも有名だ。

 

草薙剣は、素盞嗚尊がヤマタノオロチを退治したときにその尾から生まれたものといわれ、その後素戔嗚尊が姉である天照大御神に献上した。そして天照が天孫降臨の神勅を下すにあたってこの神剣に霊魂を込め、神鏡(八咫鏡)・神璽(八尺瓊勾玉)と共に邇邇芸命に授けて以来、天皇家はこれを宝祚の守護(三種の神器)として宮中に祀ってきた。だが10代崇神天皇の際に神威が増し恐れ多いとのことで伊勢に移した。これから伊勢神宮の創祀であり、ここに皇居と神宮の分離が初めてなされることになった。鏡は伊勢に残されたが剣は熱田の地へ下った。12代景行天皇の治世に日本武尊の東征に際し、熱田にて草薙剣を受け取った。日本武尊の死後、再度草薙剣は熱田に返され今に至る。

 

 

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境内は、昔から雲見山・蓬莱島の名で知られ、大都会の中にありながら静寂があり、深閑としずまるその様は神代から神と人を千古の杜に仰ぎみる悠遠のときを感じることができる。



熱田神宮で参詣後、味噌煮込みうどんだけではお腹が空くので(デブ感)

エビフライを食べに行った。

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食後は名古屋城を観光しようと思ったが、改修工事のため断念した。その後、中央線で松本まで行き宿泊することにした。

 

翌朝、善光寺にでも参ろうと思い立ち長野へ向かった。

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長野へ向かう途中日本三大車窓として名高い姥捨から見下ろす善光寺平は冬の寒空の下、荒涼としていた。長野駅へ着くと気が変わりせっかくなので奥信濃まで行くことにし、野沢温泉に入ろうと思い至った。

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早朝からの疲れで、乗車してすぐ眠りについてしまった。

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目が覚めると車窓からは白銀の世界が広がり、私以外乗車していない車窓からは一切の人の営みが認められず、雪に吸いとられた音という音が、そこらに潜んででもいるかのような静けさが広がっていた。

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飯山駅で降車し、野沢温泉へと向かった。

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野沢温泉の特徴として、13軒ある共同浴場(外湯)が挙げられる。これは地元の湯仲間という組織によって管理されていて、寸志で入浴できる。外湯巡りを特徴とする温泉は城崎温泉も有名だが、城崎の各浴場が豪華に改築されつつあるのに対し、野沢温泉はいかにも質素で地元の人との会話もあり、庶民的である。明日から大学なので温泉に滞在できる時間はわずか3時間。この短い時間でできるだけ多くの外湯に入ることにした。

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全部入ろうと思っていたが、のぼせてしまったのであえなく断念。残りの時間は地ビールを飲んだりして、時間をつぶした。これから東京へ戻るのだがここでトラブルが発生した。雪のため線路の雪かきをしないといけないとのことだった。これまで美しいと思っていた景色はこのために美しくはなく陰惨にみえた。過疎化の進む街の風景の傷口をかくしている薄汚れた繃帯のようにそれがみえた。弱い光の日が落ちてからは帰宅できない不安も相まって寒気が星を磨き出すように冴えて来た。どうにか飯山線を切り抜け、上越線越後川口へ到着した。ここから川端康成の「雪国」のあまりにも有名な書き出しである国境の長いトンネルに入る。たしか「雪国」も師走の始めだったなぁとか思うと中学生と思われる女学生たちが乗車してきた。彼女らを葉子、駒子と名付けようと思ったがそれではクレイジーサイコ島村になってしまうので妄想を打ち止めにした。結局、自宅に着いたのは1:00をとうに過ぎていた。

 

ここまでだらだらと書き連ねたが、実は東海道中膝栗毛には続編があり、木曽や善行寺に訪れる続膝栗毛があった。まあ今回の旅は道中全てなんとなくで過ごしたため特に何事もなく、本家のように滑稽なことは何一つなかった。しかし、旅行という楽しかったことだけが葉のはざまの光の乱舞につれて次つぎと浮び、通り過ぎて行き、その幻想がすべて通り過ぎて行ったのちに明日から大学という現実がちらと暗黒微笑を浮べた時、深い虚無がやってきた。もう言うこともないので終えるとするかぁ。

 

さらば読者よ。命あらば、また他日。元気で行こう。絶望するな。では失敬。